はじめまして、ななこです!
本日は私のWebサイトにお越しいただき、どうもありがとうございます!
はじめに
私は、学力0・スキル0、
保育園の散歩では一人だけ進行方向とは真逆に暴走
小学校ですら入学し3日で学校辞めると言った
生まれながらのエリート級の社会不適合者で
今が楽しければOK♪と現実から目を背けて夜職を続けてきたアラサーです。
母に小学校と中学は頑張って卒業しようとなだめられ
なんとか通った9年間での口癖は「勉強する意味を見出せない」で
そんなんだから当然、成績はビリかビリ付近。
学力がなくても稼げるようになりたいと就職するが
長続きせず、結局すぐにお金になる夜職を繰り返す日々。
楽して稼ぎたいと投資スクールに入って投資詐欺にあったり
勤めていた会社から突然リストラされたりと
散々な人生でスキルも誇れることもなく
自分に自信なくなり、 どんどん自分が嫌いになっていました。
そんな私がやーーーーっと夜職から抜け出し
現在はwebフリーランス1本で生活できるようになりました。
今後の目標は月収100万円を達成することです!
スキル0からのスタートで
夜職で生計を立てながらwebフリーランスになり
月収100万円を目指すことになった経緯やきっかけやをお話ししたいと思います。
私のように学力も誇れるスキルがないけど
稼げるようになりたい!何か始めたい!という方の
きっかけや勇気になってくれると嬉しいです!
【基本情報】
名前:ななこ
性別:女
趣味:美容、旅行、SNS鑑賞
前職:化粧品販売、歯科助手、製造業、キャバクラ
幼少期〜学生時代
私は山形県の田舎で長女として生まれ、優しい父と母に育てられ
弟と4人で家族で何事も自分の意思を優先してくれる両親のもとで
何不自由なく育ててもらいました。
私はかなり活発な子でとにかく、じっとしてられず
保育園ではやっと歩き出した1歳半くらいに
いきなり行方不明になり、園の先生全員で私を探しまくって
やっと見つけたのはまさかの最年長の教室。
お兄さん、お姉さんに囲まれて遊んでいたそうです。
散歩でも一人だけ真逆に爆走と
毎日何かしらの私の不可解なエピソードが
日誌に書いてあるトレンディな子でした。笑
小学に入学しても相変わらずトレンディ娘は
3日で学校辞めると言っていたそうです。早
そんな私に母は「頑張って小学校と中学の9年間は頑張ろう!」となだめられていました。
入学3日で小学校を辞めると言っていた私も小学校と中学校を卒業し、
高校に通うのは必要なのかわからないまま
みんなが高校に行くからと高校に入学しました。
高校に入っても勉強には興味がないし、
「勉強は楽しい、必ず役にたつ」と自分に暗示をかけても
やはり興味ないことは興味がない!うん、全くない。
周りの大人を見ても社会や生活に今学んでいることが
活きているようには見えなく勉強の必要性が理解出来ませんでした。
高校に入学するとでバイトできるのが楽しくて色んなバイトを経験しました。
コンビニ、駄菓子屋さんのレジ、スーパーのレジ。
勉強はしてもしても意味なしお金にならない。
でも、バイトはやればやるほどお金になる!!と
勉強するより働きたいと思っていました。
高校自体は部活と友達に会いに行く感覚だったので、毎日遅刻。
午後までに行けばいいと、お弁当を食べるタイミングに登校。
特にグレていたとかではないのですが 本当に勉強する意味が見出せませんでした。
クラスでの成績はいつもビリ、学年でも下から5番目くらいをキープ。
1番びっくりしたのが
期末テストで勉強しなくても赤点くらいは逃れられると思って挑みましたが
なーーーーーーにもわからず
何度問題を読んでもやはり、なーーーーーーーにもわからず
名前だけを書いて提出し、高校3年で初めての「0点」を取りました。
自分でもビックリでしたが、そもそも授業も出ていないし当たり前の結果です。
その分野は私にとって意味のない勉強の中でも特に意味がない
「サイン・コサイン・タンジェント」
0点だけどまじどうでもいい\(^o^)/
私の人生で絶対使わないし、0点でいいの♪ と心から開き直ってました。
先生に呼び出された時も
「これって社会人になってどこで使うんですか?
先生、授業以外で使った場面ありましたか?」と先生を困らせてしまいました。
やっぱ必要ないじゃん、先生論破したぜ!くらいの感覚。
卒業できれば働けるし私は大丈夫!と素敵な勘違いをして生きていました
両親はハラハラだったでしょう。
でも、両親には特別勉強しろ!など言われませんでした。
先生の協力もあり無事、高校を卒業。
長かった、小学生から高校まで私本当に頑張った!と自分を褒め
高校を卒業したら本腰を入れて働けることにワクワクしていました。
新社会人
高校を卒業し私は 母の仕事の化粧品販売の仕事に就きました。
毎日綺麗な服装・メイクで楽しそうに働いき
お客さんにはいつも「ありがとう」と言われていました。
母の働いている姿を幼いことから見ていた私は
憧れていたので迷わず自分もこの仕事をすることを決めました。
また、学校にくる求人は製造業や飲食店の接客業の二択に感じ
高校を卒業する前からこんなワクワクしない就職先は
私は無理だなぁ〜と思っていました。
スーツを着て、髪の毛は真っ黒。
何度も何時間も練習する、面接。
履歴書を書く。 全て無理。やりたくない!!
嫌なことから逃げたいという気持ちもあり
楽にスタート出来て、キラキラした憧れの母の仕事「化粧品販売」を選びました!
やっと働けるのが嬉しくて、
勉強なんて出来なくても成功出来ることを証明したく
必ず成功するんだと意気込み必死で働き
19歳の最速・最年少で営業所長に登りつめました。
上司の方にななこちゃんは勉強に興味がなかっただけで
興味があることはこんなにも頑張れるんだね!と言ってもらえ
私をわかってくれた、認めてくれたことで私はより頑張れました。
みんなにすごいと言って貰えて
やっぱり勉強は必要ないと再確認し
学力がなくても成功出来るぞ!と周りの友達に示せた気がしました。
しかし、現実は甘くなくその営業所長をキープする
売り上げを毎月クリアすることが難しいのと
友達に営業して使用して貰っていたので
プライベートと仕事の境目をうまく作れず
まだ未熟者だった私はメンタル的にキツくなり1年半でやめてしまいました。
断念してしまったものの、
最初についた仕事が良くも悪くも個人事業主だったので
自由さや楽しさと同時に社会の辛さも味わいました。
精神的に疲れてしまった私は何も考えずに取り組める
製造業につき淡々と作業し、時間を過ぎるのを待つ仕事に就きました。
工場は窓もなく、出社してから工場に缶詰状態
頭がおかしくなりそうでした。
この仕事も長くは続かず、今度は歯科助手として働きました。
やりがいはあるが、給与が安過ぎるという現実。
朝から晩まで土曜日も働き手取り11万で、毎月絶望。
当時、同棲していた彼に生活費を支えてもらい
欲しいたった1,600円の靴を買うのに彼に相談し
買っていいか確認していました。
そんな自分が情けなく、悔しい。
彼にも申し訳ないと苦い思いをしたことを今でも忘れません。
彼は専業主婦になってお家のことをやって欲しいと言ってくれていましたが
自分の欲しいものくらい自分で稼げるようになりたい!
誰かに頼らず、経済的に強くなりたいとここで強く思いました。
初めに就いた仕事は頑張れば頑張るだけ稼げる。
人より稼ぐことは、もちろん人の何倍も苦労はするが
稼げなく自分に自信を持てず、好きなこともできない苦労の方が
私は嫌だとここで痛感したのです。
しかし、稼ぎたい気持ちはあるが何をしたらいいかわからず
日々の生活をおくることに精一杯で
朝から晩まで働き11万円で暮らす日々をおくっていました。
同棲していた彼との将来を考えた時に
まだ結婚したくない!敷かれたレールを進みたくない!と
その彼とお別れした私は一気に自由になりました。
今まで同棲で家事をしていた時間を使い
コンビニでバイトしてお金を貯め友達とハワイに行きました!
ハワイをきっかけにもっと人生を謳歌したい!と思い
彼氏もいないし、仕事も辞める。
リゾートバイト石垣島へ 夜職スタート
こんなに身軽なタイミングはもう人生で来ないかも知れないと思った矢先
リゾートバイトというものを知りました。
リゾートバイトとは
リゾート地や観光地で短期間のアルバイトやパートタイムの仕事で
寮や車などが完備されており
航空券も勤務日数によっては支給して貰える働き方です。
こんな夢のような話があるのか!と
すぐに沖縄石垣島にリゾートバイトに3ヶ月行くことを決意しました。
誰も私を知らない土地で心機一転し
0から生活や人間関係を自分はどれくらい築けるのだろうと
自分試しをしたくなったのです!
行くまで何も知りたくなかったので石垣島がどんな島なのかも調べずに行きました。
仕事は人生初のキャバクラ。
今までキャバクラなど、女性を商品とすることに偏見を持っていましたが
やってみなきゃわからないし、ダメならやめればいい。
そして、せっかくリゾート地で生活するなら
お昼はその土地を満喫したかったので夜働くことにしました!
もう勢い付いてるし、こうなれば怖いもんなし!
数店舗ある中で、サイトを軽くみてお店の人と詳しい話もなく勘とノリで決めました!
お店を決めてから母には話し、父には航空券を取ってから話ました。
もう、相談とかはなく行くという事実を伝えるだけ。笑
母も父も決めたら考えを変えない私をわかって反対はしませんでした。
でも心配なのはわかっていたので
嘘なく真実を話そうと決め夜働くことも店舗の名前も報告し
しっかり現状を報告することで少しでも安心して欲しいと
当時の私に出来ることはこれくらいでした。
母はいきなりに石垣島に3ヶ月も行くという娘を心配し
知り合いがいるから何かあったらその人を訪ねなさいと紹介してくれましたが
私は自分試しに行くことを伝え、必要ないと断りました。
しかし、初めての土地で知らない人が空港に迎えにくる。
迎えに来る人の名前ももちろん姿もわからない。
キャバクラと言っているが本当は風俗だったらどうしょう
そうなら夜逃げしよう、そうしょう。と自分を励ましながら
山形から石垣島に近づくにつれ、ワクワクから不安が大きくなって
今、自分がやっていることに取り返しのつかないことをしていると
飛行機の中で思いました。
あなた、手遅れですよ。という感じ…
とうとう石垣島についてしまい
やり取りしている番号に電話し落ち合うことができました。
迎えにきてくられたのは店長さんで
お店を見せてくれて寮に連れて行ってくれました。
とりあえず、ちゃんとキャバクラだったので一安心。
寮は今何時代だっけ?と思うような古い作り。
まあ、なんとかなるかと。
どんどん新しい世界が広がっていき
現実についていけてない感じがしました。
友達もすぐには出来ず10日間くらいホームシックになり、
母には心配かけたくないし
あんなに意気込んで出てきたので弱音を吐けず
店長に話を聞いてほしいと電話。
友達が出来なくて不安ですと話したら、なんと爆笑されて
「大丈夫!1ヶ月も経ったら楽しくて やっぱり帰りませんって言い出すよ!」
とまさかの展開で励ましてもらいました。
その励ましと
いざとなったら頼れる人が出来た安心感で一気に気持ちが楽になり
どんどん友達も出来て、お昼は観光やランチ
海に泳ぎに行ったり ダイビングとジェットスキーの資格も取りました。
毎日が新鮮で楽しくて勇気を出してきて良かった!
私の人生こうっじゃなっくっちゃ!!と人生で1番楽しいと感じていました。
石垣島に移り住み半年後に
稼いだお金で母を石垣島に招待しました。
父は体の状態があまり良くなかったので来れませんでしたが
母には働いているお店にも連れていき、
店長や友達にも紹介し 半年で私が作り上げてきたものを全てみてもらいました!
母も安心してくれたと思いますし
石垣島を楽しんで帰ってくれました。
高校にも、もろくにいかず成績はいつも最悪。
社会人になっても仕事は長く続かず
いきなり同棲し始めたと思えば
挙げ句の果てには石垣島でキャバクラで働くと言い出す
破天荒な娘でしたが、初めて親孝行出来た気がしたのを覚えています。
仕事の方はお酒は飲めたし、人見知りをしなかったので慣れてきて
入店10ヶ月ほどで系列店と合わせてNo.1の売上を上げることが出来ました!
まさかの結果にビックリと 人生を変えれた
何か形として成果を出せたのが嬉しかったです!
今まで何をやっても中途半端で
みんなが出来ている学校に行く・勉強をする・遅刻しないなど
当たり前のことが全く出来ない自分は
何をしてもダメなんだと思い込んでいましたが
環境を変えて目の前のことを一所懸命にこなすことで
結果がついてきて少し自分に自信を持てました。
しかし、簡単に稼げる仕事などもちろんなく
一度No.1になるとその座をキープしたいと
休みの日もお客様が来ると出勤し
売上を上げたいというプレッシャーや接客のストレスで
頻繁に蕁麻疹が出て当時はかなり悩まされていました。
顔にまで蕁麻疹が出るので、3日間も休むことになり
休んだことで誰かに売上を越されると焦りで悪循環にハマっていました。
華やかな世界とは裏腹に精神的な辛い思いをしました。
宮古島へ
その後、石垣島を満喫した私は石垣島で出来た友達と
沖縄県宮古島にリゾートバイトに行くことに。
新しいお店でもNo.1で売上をあげれるようになった頃には
この仕事にとてもやりがいを感じていました!
仕事で疲れたお客様に癒しや楽しい場所を提供できる
この仕事に誇りに思い、天職と自分でも思え、
周りからの天職だねと言ってもらうことが増え楽しく働いていました。
仕事は真面目に楽しく頑張っていましたが生活はかなり堕落していて
女の子とも仲が良かったので毎日仕事終わりに日払いの給与を持って
「このお金全部使うぞ!」と朝まで飲み続けていました。
当時は毎日のように12時間飲み続けていたのです
貯金なんて言葉知りませんと言わんばかりに…。
この頃からリゾートバイトが流行り出し
私が勤めていたキャバクラに「マツコ会議」の出演することになり
せっかくの機会だからと私もテレビに出ることになり
もちろん、日払い給与を握り締めて飲みに出る様子も配信されてました。
やはりテレビの影響はすごくて
そこから指名や友人からの連絡が凄かったのを覚えています。
ただただ楽しいリゾートキャバ嬢のライフでした。
しかし、ふと考えたら
アラサーと言われる年にあっという間になって
手に職がないことに漠然と不安を覚えるようになり
やっと自分のヤバさに目を向けだしました。
毎日楽しいし、何不自由ない生活だけどこのままでいいのかな?
キャバクラの仕事はやりがいあるがいつまでも出来る仕事ではないし
今後の仕事にはプラスというよりマイナスなキャリアなのでは??
スキルもなければ、それだけでなく毎日の飲み代で貯金は0円。
私、アラサーじゃん…やばすぎないか?!!!!
インスタを見ればキラキラと働いて稼いでいる人をみて
自分も何かスキルをつけて 今と違うお昼の仕事でバリバリ働きたい!
日に日に目を背けなくなる現実と不安とだけが増し
この楽しい仕事と作り上げてきた生活を捨てて
手に職をつけるために宮古島を出ることを決意。
今の生活を捨てるのは勇気が必要でしたが
将来のことを考えると、挑戦すべきと自分を奮い立たせました。
大阪で就職
旅行が好きだったので、場所や時間に捉われない仕事がしたく
なんの知識もない私でしたが
パソコン一つでできる仕事がしたいと思いパソコンなら都会だ!と
安易すぎる考えで大阪か東京に住もうと。
東京はよく遊ぶに言っていたので大阪に住んでみようと引っ越し。
新天地で就活に励みましたが
なかなかこれだ!とやりがいを感じる就職先もなく
長年のキャバクラ生活では、就活で活きるスキルは持っていなく
何かと言い方や見せ方を自分なりに工夫しても不採用。
とにかく働かなくては貯金が減る一方と就いた仕事がまた夜職だったのです…。
夜職は、気軽にスタート出来るのとお給料が良いためにすぐに舞い戻ってしまうのでした。
手に職を付けたいと沖縄を出たのに気づけばまた夜職をあてにしていました。
そんな自分が情けないし、就職は出来ないし、自分に自身がなくなっていく日々…。
なんとかお昼の仕事に就きましたが
私が理想している仕事とはかけ離れた職種、作業員の作業をデータ作成する仕事でした。
パソコンという意味では、パソコン作業なのですが
全く興味のない作業で何か将来のプラスになればと頑張っていましたが
出張や営業の外回りなど仕事内容が変わってい
やりがいもないうえに、自分の時間も取れないようになり始めました。
ストレスも溜まって、生気もなく過ごしていたところに
コロナという狂気が現れました。
お家から出れなくなったことで仕事はリモートになり
出勤しなくても仕事が出来ることが発覚。
コロナを機にwebデザインを勉強
お家時間が増え、みんなゲームやアニメにハマりだしていましたが
私はこのコロナ禍が終わった時に
遊んでいた人と何かしら努力している人との差は大きくなると考え
私は後者になりたいと何もわからないが
YouTubeで『フリーランス 女性』などと調べていました。
ある日、webデザイナーという職業をしり、
これだ!これをやってみよう!と少しの光が見えた瞬間でした。
学び方を調べてオンラインスクールに入ることに。
全くの初心者で何もわからないが、とりあえず動画を見ながら
デザインを繰り返していくものでした。
新しい挑戦はワクワクもしましたが
みんなインスタを見れば、お家カフェ・アニメなどと楽しんでる中
勉強するのは本当に苦しくて毎日、自分との戦いでした。
会社員で生活は出来ているのでだらけてしまいそうでした。
コロナも少し緩和されていくにつれ、私の向上心もいつの日か薄れていき
最後まで動画学習せず、いつものやりがいのない仕事を繰り返す日々に戻りました。
とうとう、お昼の仕事も本格的にイヤになり
仕事を辞め、大阪も出て心機一転することを決意しました。
しかし、人が足りないという理由もあり
遠隔でもいいから続けて欲しいとのことだったので
新しい土地に行ってもリモートで仕事を続けることになりました。
奄美大島へ
新しい場所は鹿児島県奄美大島でした。
そこでも私はリゾートバイトを続け
夜職をしながらも会社員の仕事をお昼やっていました。
またもやリゾートバイトで夜職をしてしまいます。
やはり、すぐ働けてお金になり
寮や車が支給となるとなかなか離れられないものでした。
しかし、以前と違ったのは
お昼の仕事もしてリモートかつ、パソコン関係ということでは
一歩前に進めた気がしていました。
少し前に進めた事から自信がつき
夜の仕事・会社員の仕事をこなしながら
知り合いの方から頂いた仕事をこなす日々。
・動画撮影
・動画編集
・ホームページ制作
・Tシャツやパッケージデザイン
お願いされる仕事は全てトライしました。
いつか自分の仕事で安定して稼げるようになったら
今度こそ夜職をやめたい思いで必死でした。
沖縄本島へ 会社員をリストラ
奄美大島でお昼と夜職と自身の仕事をこなしていく中でお昼の仕事の関係で
沖縄本島に移り住むことになりました。
移住してから知り合いの方に依頼されたことがきっかけで
インスタの運用代行をスタートします。
本島に移り住んでからは
お昼の仕事と自身の仕事に取り組む毎日でした。
いずれ、会社員の給与を超すことが出来たら
フリーランス1本でやっていこうと思いながらも
会社員の固定給があるのは安心・安定といつの日かぬるま湯に浸かっていました。
自分の仕事も少しながら安定して稼げるようになった矢先
リモートで続けていた会社から突然リストラされました…。
今月で仕事終わりです、社宅も出ていって下さい。
絶望でした。
自身の仕事で稼ぎはあったものの不安だし
1ヶ月で引っ越しもしないといけない。
こんなことあるんですね…
この時、感じたのは会社や社会は弱者を守ってはくれない。
自分で強くなり、経済的にも精神的にも自立しかない!
そう学ばせてくれました。
この当時は、人生が投げやりになってしまいそうでしたが
何があっても腐らないと言い聞かせて
周りの方に支えられながらなんとか
引っ越しや働き先をを見つけることが出来ました。
私がよく頼ってしまう、そう夜職ですね… 自分でも呆れます
でも、生活していくためには仕方ない!
心にも余裕がなかったです。
しかし、もう夜職では年齢的に需要があるわけもなく
モチベーションもないので 出勤するたびに辞めたいし
自分の人生が惨めに感じ自己肯定感はだだ下がり。
朝起きて自身の仕事をしようと思っても
深夜まで働いているので起きるのはお昼。
また今日も起きれなかった…朝起きるだけのこともできないと
自分を攻めることからスタートする日々で
何も楽しくなく、悪循環にハマっていました。
フリーランス1本にする決意
リストラされ半年、私は決意しました!
自身の仕事に本腰を入れて取り組もうと。
今まで誰かにお給料をもらう人生だったので
自身の稼ぎだけで生活するイメージが湧かなく
フリーランス一本になることはとても勇気が必要でした。
でも、やってみてダメならまたバイトしたらいいんだと
1ヶ月ほど悩み、半分開き直ってフリーランスでやっている
インスタ運用代行で頑張ることにしました。
このタイミングでオンラインスクールにも入会し
2023年5月からインスタ運用代行をメインとする
webフリーランス1本で生活できるようになり
やーーーーっと夜職から卒業しました!
これからの目標
これからはもっと経済的自由と時間や場所から自由になれるように
現在進行形で月収100万円を目指して奮闘中です!
webフリーランスで経済的自由と時間や場所から自由になれる
なんてこと可能なの?と思うかもしれませんが
実践型のオンラインスクールに所属し
マーケティングスキルを磨きながら働きながらも学びスキルアップをし
自身のビジネスを加速していくプロセスが見えています。
しかし、まだまだスキルアップ中なのでその様子をみなさんに発信し
私と同じように何か始めたい!スキルを手に入れたい! という方に
きっかけと挑戦する勇気を届けたいと思っています。
学力カオス、社会不適合者、職歴ほぼ夜職のみでも
環境と行動していけば 経済的にも精神的にも自立し
自分の理想を叶えられるということを証明したいです。
現在フリーランスで働いていて思うのは
夜職歴が長いことがずっとコンプレックスでマイナスに感じていましたが
知らず知らず培ったコミニケーションスキルが活きていると感じています。
コンプレックスすら強みにして無駄なことはなかったと言い切れる人生にしたいです!
私の夢はwebフリーランスで企業様の集客や事業をサポートで貢献し
月収100万円を達成し、経済的にも自立した女性になることです。
あの頃の酒飲みリゾバ娘が現在はwebの世界で活躍していると
もう一度テレビに出て夜職からでも成功できると、
私のようなスキル0からスタートする方の 何か始めるきっかけになることです。
一度しかない人生だからこそ
スキルをつけ経済的にも精神的にも自立した女性になり
『好きな時に好きなことを好きな場所で好きな人と』
を本気で実現させたいと思っています。
皆さんがビジネスを始めようとした時に私の経験が
誰かのきっかけや勇気になってくれると嬉しいです。
成長過程を記録に残し、発信していきますので
よかったら定期的に私の成長状況を見に来てください♫
最後まで読んで頂きありがとうございました!